エントロピー   entropy

 

エントロピーとは,そもそも複雑さの度合を表すための熱力学的概念であり,複雑さまたはでたらめさが増すほどエントロピーは大きくなる。

 

[複雑さの表現としてのエントロピー]  

理想気体が,温度一定の下で,非常にゆっくりと(すなわち準静的に)膨張してその体積がもとの体積の2倍になった状態を考えてみよう。どちらも同じ温度で平衡状態になっているが,これら二つの状態は,明らかに熱力学的に違った状態である。2倍の体積の状態のほうが熱的により乱れた状態であるといえる。なぜなら,体積が2倍となった容器の中央に仮想的な仕切りをつけたとすると,中の粒子は,もとの半分の体積の場合と比較して,仮想的な仕切りを乗り越えて両方に入り乱れることができるからである。もっと直観的にいってしまえば,ある体積の容器の中にハエを入れたときと,その2倍の体積の容器に入れたときとで,どちらのほうがハエの飛び方が複雑になるかを考えれば類推できるであろう。この乱れぐあいを定量的に表現する物理量がエントロピーなのである。理想気体が一定の絶対温度 T の下で準静的に,いいかえれば可逆的に膨張し,その際熱源から熱量 Q を吸収したとすると,Q T との比 Q/Tは,初めの状態と終りの状態を固定すれば,途中のどのような経路を通って変化が進んでも一定である。もっと定量的には次のようにして説明できる。体積 V1の理想気体 n モル(mol)を温度一定の下で,準静的に体積 V2(V2V1)まで可逆変化させ膨張させたとき,熱源から吸収する熱量 Q は外部へ対してなした仕事と等しいはずであるから,

 

 

と表せる。n(mol)の理想気体に対してはその圧p,体積 V,絶対温度 T の間に,pVnRT の状態方程式が成立するから(R は気体定数),この関係を用いて上記の式を書き換えると,

 

   となる。

 

すなわち,Q/TnRlog(V2/V1)となり,これは初めと終りの状態(今の場合は体積であるが)にのみ依存する状態量となる(ただし,適当に基準を決めることは必要である)。しかも,体積が増加して状態が乱れるほど,その対数に比例してQ/T は大きくなる。このように,Q/T が状態の乱れの度合を表していることは明らかで,この Q/Tをエントロピー S と定義する。

 エントロピーという概念は,熱力学的な状態の変化を特徴づけるものとして R. J. E. クラウジウスが導入したものであり,その名はギリシア語のentrop(反転する働きの意)に由来し,変化容量の意味で命名されたものである。

 

[エントロピーのミクロな意味]  

エントロピーにミクロな意味づけを与えたのは L. ボルツマンである。彼はミクロな状態の数を W とするとき,そのエントロピー S は,SklogW で与えられると提案した。ここで,k はボルツマン定数である。ミクロに定義されたエントロピーが,熱力学的に定義されたエントロピーと一致することを示すことは,統計力学のもっとも基本的事項である。直観的には理想気体に対するエントロピーの表式 SQ/TnRlog(V2/V1)で,とくに V22V1となる場合を考えるとわかりやすい。1mol中の気体分子の数,すなわちアボガドロ数 N0を用いると,RN0k であるから,上式は

 

   と書き直すことができる(NnN0)

 

N 個の粒子が仮想的な仕切りのどちら側に入るかというミクロな状態数 W W2N で表されることを考えれば,ミクロに定義されたエントロピーと熱力学的に定義されたエントロピーの同一性が理解されよう。さらに,二つの系の熱力学的に定義されたエントロピーの和が SASB となるとき,両者を併せた系のミクロな状態の数は WAWB となり,ミクロに定義されたエントロピーは k(logWAlogWB)で表せること(logW の加法性),また W の増大と不可逆性の関係などからも両者が一致することが理解される。

 

[増加するエントロピー]  

通常,非常に小さい無限小の可逆過程に対して,微少量の熱の吸収を Q とすると,系の絶対温度を T として,この無限小可逆過程に対するエントロピーの変化 dSは,dSQ/T と表される。S という状態量の微少な変化量であるから,数学的には Q/T が完全微分になっていることを意味している。温度 Tは,示強性,すなわち体系の大きさによらない物理量であり,一方,熱量 Q はエネルギーの一種で,体系の大きさに比例して加法的に多くなる示量性の物理量であるから,エントロピーは示量性の物理量である。一般の無限小過程に対しては,QTdS という不等式が経験的に導かれている。これが熱力学の第2法則である。もし,これが破れていると,一つの熱源から熱をとってそれを全部仕事に変える第2種永久機関が作れることになる。等号は可逆過程に対して成立し,不等号が成り立つ過程を不可逆過程という。すなわち,同じエントロピーの変化 dS に対して,熱量の変化が TdS より小さい過程は不可逆であり,逆にいえば,同じ熱量 Q の変化に対して,エントロピーが Q/T より大きな変化をする過程が不可逆過程であるということができる。とくに外部から完全に孤立した系では,熱の出入りは0,すなわち Q0であるから,熱力学の第2法則は dS0と表される。すなわち一つの孤立系においては,その系のエントロピーの総和は,その系内に可逆過程が生じても不変に保たれ,不可逆過程が生じた場合には増加し,どんな場合でも減少することはないということを示しているのである。これが孤立系に対するエントロピー増大の原理である。自然界に起こる過程は,摩擦,熱伝導など不可逆過程が多く,したがって自然界(宇宙)を孤立系とみなせばエントロピーの総和はその極大値に向かって増加していることになる。

 

[エントロピーと熱機関の効率]  

エントロピーの概念を用いると,理想的な熱機関の効率η を計算することができる。最大効率をもつ理想的な熱機関の効率 η は,エネルギー保存則と熱力学の第2法則より,エントロピーの変化をなるべく少なくして,外にとり出す仕事を最大にする過程,すなわち可逆過程に対する効率として求められる。絶対温度 T1の高温熱源から熱量 Q1T1dS をとり出し,その一部を仕事 W に変換し,高温熱源からとり出したエントロピー dS をそっくり絶対温度 T2の低温熱源に可逆的に返すことによって理想的な熱機関が設定される。すなわち,低温熱源に熱量 Q2T2dS だけ渡すことになるから,効率 η は,ηW/Q1(Q1Q2)/Q1(T1T2)/T1によって与えられる。したがって,低温熱源の温度 T2が小さいほど効率 η は大きくなり,T20η1となる。それは,温度が低いほど熱量の変化は少なく,エントロピーの受容がますます大きくなるからである。これを裏返しにいうと,低温になるほど,その状態を作り出すのにますます多くのエントロピーを外にとり出さなければならなくなり,絶対0度に到達するのは実現不可能なことを意味している。

 

§コラム【社会システムとエントロピー】

熱の移動が高温物体から低温物体への一方通行性をもつことを主張する熱力学の第2法則を,R.J. E. クラウジウスの導入したエントロピーの概念を用いて表現しなおすと,外界に対して熱や物質の出入りのない孤立系においてはエントロピーは不可逆的に増大する,ということができ,これをエントロピー増大の法則という。

 低エントロピー状態を一定期間保ち続ける生物がエントロピー増大の原理の例外であるかどうかという議論は,この原理の確立以来活発になされてきたが,この点に関してオーストリア生れの物理学者 E. シュレーディンガーは《生命とは何か》(1144)の中で,生物は外界から負のエントロピーをとり入れることによって体内で増加するエントロピーを相殺するとした。しかし,エントロピーはその定義からして負値をとりえないため,その議論には難点があると指摘された。その後シュレーディンガーは,生物が食物を摂取するのは,身体的運動によって失われる力学的エネルギーを補充するためばかりでなく,体内で絶えず発生する余剰エントロピーを処分するために不可欠のことである,という新しい視点を導入した。

 この視点をシュレーディンガーとは独立に発展させたのが,物理学者の田敦による地球の開放定常系理論である。1970年代の半ば彼はまず,資源問題の物理・化学的分析を通じて,夢のエネルギーなどと称されることもある核融合発電は,たとえ成功しても石油をはじめとする涸渇性の地下資源の浪費に帰着することを論証した。これに続いて彼は,薪や水力に代表されるようないわゆる更新性エネルギーが地球に存続してきた理由の解明に向かい,次の結論を得た。地球に到達する太陽エネルギーの一部分 Q は地上に残留して水の蒸発と暖気の形成をひきおこす。高空に上昇する水蒸気は断熱膨張・冷却の過程を通じてQ を長波長放射の形で地球の大気圏外に放出する。そして,水蒸気はいったん氷結してやがて雨となり,冷気と共に地表に降下する。この水循環と対流に関与する残留熱 Q の大きさは,地表面1cm2当り年率で約77kcalである。地球と宇宙空間の間でのこの熱の受け渡しに伴うエントロピーの収支を考えると,地球が Q を受け取る時の平均温度 T1は約290K(17)で,それを高空で放出する際の平均温度 T2は約250K(23)であるから,

 エントロピー収入 S1Q/T1266(cal/degcm2・年)

 エントロピー支出 S2=−Q/T2=−308(cal/degcm2・年)

となり,エントロピー変化 S は,

 SS1S2=−42(cal/degcm2・年)と算出される。

 

 水惑星という特徴をもつ地球は,これだけの割合でエントロピーを外部に捨てている系であり,エントロピー廃棄の能力を備えた系のことを物理学では開放定常系と呼ぶ例があることを考慮すれば,地球全体を一つの開放定常系とみることができる。人間をはじめとする諸生物の個体も,呼吸,発汗などでエントロピーを体外に放出している開放定常系である。陸上生物が発生する有機廃物は,土壌微生物の捕食作用によって無機物と廃熱へと分解され,前者は植物の再摂取により,後者は水循環により処分される。水中生物の有機廃物もプランクトンなどの水中微生物により分解され,水面での蒸発により廃熱処分がなされている。このように,水と土を介して生物個体,生態系,地球,宇宙空間の間でつぎつぎとエントロピーの受け渡しが行われることにより地上の諸現象が更新されるわけである。この開放的な循環構造全体を水土(すいど)と称することもある。

 ところが,この開放定常系としての地球が定常性を維持するのが困難になりつつある。すなわち原子力発電による放射性毒物の累積,産業廃棄物の増大,大気中炭酸ガス濃度の上昇,合成洗剤・化学肥料・農薬による河川・湖沼の汚染などがそれである。エントロピーという物理学上の言葉を,社会的な文脈において廃熱・廃物と読みかえると,このような汚染の増大を〈エントロピーの捨場不足〉と表現することができる。エントロピー論はこのような問題を,社会システムとして総合的に理解すべく提起された新しい視角である。

 

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